Laid back気味

 

もうすぐ断酒一年。

 

早いような、長かったような。友達と会うとやっぱり少し飲みたくなるけど、友達と会う機会自体がだんだん少なくってしまった。貴重な時間を使って会う友だちもまた貴重な時間を使ってくれているわけで、そのことはとても大切で、ストレスを与えたくないしできるだけストレスを感じたくない。そう考えていたら会う人間もだんだん限られてきてしまったけど、これで良いのかもなーとぼんやり考える。縁があればまたきっとどこかで会える人もいるはずだ

 

よく言われる通り若い頃、学生の頃はお金がなくて時間だけがあった。勉学にも運動にも打ち込まない屑だったから、生活のメインテーマは暇をつぶすことだった気楽な時代だ。飛ばしあったくだらない身内ギャグや自虐や他人をネタにした話、会ったこともない誰かの地元のツレの、強烈なエピソード。だらだら喋りながら徹マンしてもまだ飽き足らず、そのまま海に出かけたこともあった。誰も命を落とさなくてよかった。戻りたくはないし、思い出というほど綺麗な類のものではないが、今でもふっと瞬間瞬間がよみがえり、年をとった自分を笑わせてくれる時がある。そしてそれを話して奥さんが笑ってくれたりすると、あのどうしようもない日々も、仲間内で断トツにどうしようもなかった自分も、捨てたもんじゃないなーとすら思えてくる

 

子どもといると自分ではない人の体や心の成長を目の当たりにできる喜びを感じるが、実際はそれは別に子供に限らなくて、本当は友人や恋人だって同じなのだろう。一緒に年を重ねて近況をポツポツ語り合えたり、映画の感想を伝えてもらったり、デートで使った雰囲気の良いお店に連れて行ってもらったり。笑いあってる時間はあのころより短くなってしまったが、より希少で価値のあるようなものになった気がする。たとえ錯覚だとしても、この錯覚がもっと年をとった自分をふっと笑わせることになる可能性だってあるのだ

 

 

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正月前のかまぼこは高い

物事は多面的で、そのあまりの多面さに煩わしさを覚える瞬間も多い。人の営みは全くシンプルじゃない。私と、「あなた」がたくさん存在する時点で複雑極まりない。思惑や気遣い、期待や裏切りで混沌として見える時もある。心地良い時間も苦痛な時間も平等にただただ流れて行ってしまうことをむなしく感じるが、流れていかない、でっかいウンコみたいな時間があってもそれはそれで嫌かもしれない。みな平等に時間に蹂躙される

 

とはいえむなしくなってばっかりでも仕方ない。どういう状況に置かれても新種の不満や不安が顔を出し始めるんだろうし。楽しみや喜びをちょっと先の方に撒いて笑えるポイントをできるだけ作っていければなーと思う

 

取り返しのつかなさを諦めて、かつ自暴自棄にならずに(闇落ちせずに)生きていきたい。夢は持つけど身の丈に合わない欲は捨てなきゃならない

 

そんなことを悪の法則のディレクターズカット版をみて考えました。

 

 

 

2019年映画

月に2本くらいは映画館で観たいなーと思っているものの、数えてみたら15本。エンドゲームを3回見てるので都合17回か。あんまり行けてないんだな。観たかったのに観にいけず、いまだにチェックできていないものは「ビール・ストリートの恋人たち」「シンプルフェイバー」「魂のゆくえ」「ワイルドライフ」「108 海場五郎の復讐と冒険」「アイリッシュマン」等々。

 

あとはバニシングとかショーン・オブ・ザ・デッドとか再上映ものも観たかった。

 

観たものでよかったのはジョンウィック3、ジョーカー、ワンアポハリ、ジュリアン、女王陛下のお気に入りなどなど。大体面白かったです。もちろんエンドゲームも!

 

今さらながらヨルゴスランティモスの魅力にはまり、過去作をちょこちょこ観ました。

 

ベスト級に良かったのはスパイダーバース!鑑賞中興奮しっぱなしだった。吹替の声優さんたちもすごく良かった。ブルーレイにアートブックまで購入した

 

それとブラック・クランズマンもお気に入りになりました。

 

今年も良い映画に会えますように。

お前、サンタだろ!(藤波風)

本日クリスマスイブが断酒300日目らしいです。なんかちょっと嬉しい。

 

年末とお正月を乗り切ればとりあえずの目標一年が見えてくる。特に景色が変わったり劇的な変化がないことは予想できるけど、結構頑張れてることは褒めたい。

 

お祝いするように今日はホットトイズのキルモンガーが届きました。俺のサンタさんはクロネコに乗ってやってきた。通算4体目のホットトイズ。コレクターの人のブログとかみると楽しい。財力を見せつけられて少し落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です。

 

今晩は子供たちが寝たら宇宙人ポールをみます。クリスマスに観るサイモンペッグとニックフロストは最高。だよな!?

 

I still see your shadows in my room

断酒285日目。無事継続中です

 

juice wrldの突然の訃報に驚く。リルピープもXXX tentacionも皆早すぎるだろう。死因は知らないが、生き残ってあっと驚くような曲を聞かせて欲しかった。残された者の勝手な願望だけれど

 

子どもがお酒を飲んでいないパパの方が好きだと言ってくれて、断酒自体に飽きてきた心境や生活がふっと少し彩られたような気がした

 

そんな子どもは最近travis scottがお気に入りで、家にいると「goosebumps」をエンドレスで流すように指示される。kendrickバースのモノマネをしてくれるのに笑う

 

若い頃は捻くれてて、人の知らない音楽や映画を人知れず見つけてほくそ笑むような人間だったので(その癖そんなに映画も音楽も詳しくないのだけれど)、誰もが通ったような名作を数多くスルーしていることにこの年齢になって改めて気づかされる。

 

そういう類の名作を「お前今さら!」シリーズと題打ってチェックしている毎日です。最近はコミック版ウォッチメンAKIRAに耽っている。どっちも面白い!!そんなことは皆知ってる!!

わたしがおじさんになっても もとからおじさんよ

私は小さいころから老けていて、幼稚園の時母のチャリンコの後ろに座っていたらすれ違った女子高生たちに「やだ~おじさんみたいな園児(笑)」と言われたらしいし、小学生の頃はバスに乗ると高確率で「運賃足りないよ」と咎められた。高校の時分は私服で床屋に行って「お勤めお休みですか?」と聞かれたこともあった

 

同級生より成長が早く、小学生のころの林間学校で陰毛が生えていた学年に3人のうちの一人で、風呂場で私の前方に人だかりができたのはいい思い出だ。恥ずかしかったけど、もし今ならオーディエンスひとりひとりと握手やハグぐらいはすると思う。サインだって厭わない

 

不思議と大学生の頃は老けていることを指摘されなかったが、ただ周りの友人ができた人間だったのだろう。老け顔への言及ではなかったが、下北沢の駅のホームで編み込んでいた長髪がほつれてかなりだらしなくなっていた私に、酔っ払ったホームレスのおじさんが自身の頭と交互に指差しながら「おんなじ、おんなじ髪型」と満面の笑みで話しかけてくるという示唆的な出来事はあった

 

そして今、私は正真正銘のおっさんになったが相変わらず老けていて、少しでも若く見られたい気持ちも若い時のままという、ルサンチマンを抱え続けたおっさんになってしまった

 

幼稚園や小学校の参観日や運動会に参加すると実際にすごく若いパパや、私のような若く見られたいんだろうなーというパパ、じじと見紛うほど老けこんだパパもいて実に様々なパパ模様だ

 

しかしなんというか、自分がおっさんなんだという事実を忘れずに生きていきたい。すでに自分が失ったものを、まるでまだこの手の中にあるんだぜと言わんばかりに振舞うことはしんどいし、ましてや周囲の人間からすればかなり痛々しく映るだけだ。これは老け顔老舗である私の純度の高いやっかみだが、一部の度肝を抜くような化け物じみて若く見える人は除いて、自称「普段から若く見られるって言われる」と主張する人の大半は別にそんな若く見えないと思う。きっと優しい誰かのおべんちゃらを真に受けてしまったのだろう。自分がそうだったからわかるのだ。遠い昔、叔母に「あんたは金城武に似てる」と言われてから私の自尊心は3年間は保たれた。他に言ってくれる人が全くいなかったこと、叔母は私が幼少のころからずっと私に優しいことは併記しておく

 

今一度私は初心に帰る。若い人にえばることなく、ギラギラ対抗心を燃やしたりせず、ただ老いを受け入れながら健康には少しだけ気を遣う、そういうものにわたしはなりたい。おじさんは「もうおじさんだから…」なんて自虐しなくったって大丈夫だ。だって自虐しなくてもおじさんだから。もうみたまま、だれがどう見ても私はおじさんだ。あとは拗らせないだけでいいだろう

 

ライムスター Mummy-Dが語る ラッパーにまつわる誤解トップ5

 

コットンのさ、非常にコットンな感じと、顔の素材感が合わなくなってくるの(笑)。

 

Dさんのこれ、すごい分かるようになった。Dさんはむちゃくちゃかっこいいけどな!

断酒202日目

きっととっくに誰かが書いていると思うけど、断酒は先手を打つことがカギなんだろうなーと身をもって感じている。

 

自分は参加していないけど断酒会等に通うことも先手の最たるものだと思う。自分で実践しているのは空腹の状態をなるべく作らないことや、食事の前や食事中に炭酸水を流し込むことだ

 

飲まないことが常態化しつつある今は、こうやって自分の行動や動機、癖などを分析して対応策を早めに打てるようになってきた気がする。飲んでいたころは楽しかったなと思うことがないわけではないけど、随伴するトラブルが多かったことがすぐに頭をよぎる

 

川本真琴さん「デビュー当時、会社からは普通で中性的でなければいけないと言われ、自分の人格と全く違うスタイルが用意された」 - Togetter

 

ワインスタインの悪行の数々が明るみになったり、この川本真琴さんの記事を読んで自分が好んでいたものの陰では多くの傷ついている人間がいたんだな、と改めて思った。罪の度合いはもちろん違うけど

 

脅迫や圧力を前にして大声を出せたり、ハッキリと拒否できる人間が一体どのくらいいるだろう。嵩にかかって脅迫してくる連中と対峙することは勇気も根気も必要だ。仕事での請負関係や利害が絡んだら尚更声をあげることが困難になる

 

日常に、そこら中にこの手のトラブルは存在していて、職場であったり酒場であったり道端であったりする。 立場の違う二者の思惑がぴったりと一致することなんて極めて稀で、強弱はおのずと現れてしまう。水平に人を見ることのできる人がたまにいて、そんな人は皆に愛されている気がする。皆したくても中々出来ないことだからかな

 

皆に愛されることは諦めているけど、せめて誰かの脅威になりたくたないな 。そして今まで迷惑をかけた人のことを思った。申し訳ありませんでした。ごめんなさい