わたしがおじさんになっても もとからおじさんよ

私は小さいころから老けていて、幼稚園の時母のチャリンコの後ろに座っていたらすれ違った女子高生たちに「やだ~おじさんみたいな園児(笑)」と言われたらしいし、小学生の頃はバスに乗ると高確率で「運賃足りないよ」と咎められた。高校の時分は私服で床屋に行って「お勤めお休みですか?」と聞かれたこともあった

 

同級生より成長が早く、小学生のころの林間学校で陰毛が生えていた学年に3人のうちの一人で、風呂場で私の前方に人だかりができたのはいい思い出だ。恥ずかしかったけど、もし今ならオーディエンスひとりひとりと握手やハグぐらいはすると思う。サインだって厭わない

 

不思議と大学生の頃は老けていることを指摘されなかったが、ただ周りの友人ができた人間だったのだろう。老け顔への言及ではなかったが、下北沢の駅のホームで編み込んでいた長髪がほつれてかなりだらしなくなっていた私に、酔っ払ったホームレスのおじさんが自身の頭と交互に指差しながら「おんなじ、おんなじ髪型」と満面の笑みで話しかけてくるという示唆的な出来事はあった

 

そして今、私は正真正銘のおっさんになったが相変わらず老けていて、少しでも若く見られたい気持ちも若い時のままという、ルサンチマンを抱え続けたおっさんになってしまった

 

幼稚園や小学校の参観日や運動会に参加すると実際にすごく若いパパや、私のような若く見られたいんだろうなーというパパ、じじと見紛うほど老けこんだパパもいて実に様々なパパ模様だ

 

しかしなんというか、自分がおっさんなんだという事実を忘れずに生きていきたい。すでに自分が失ったものを、まるでまだこの手の中にあるんだぜと言わんばかりに振舞うことはしんどいし、ましてや周囲の人間からすればかなり痛々しく映るだけだ。これは老け顔老舗である私の純度の高いやっかみだが、一部の度肝を抜くような化け物じみて若く見える人は除いて、自称「普段から若く見られるって言われる」と主張する人の大半は別にそんな若く見えないと思う。きっと優しい誰かのおべんちゃらを真に受けてしまったのだろう。自分がそうだったからわかるのだ。遠い昔、叔母に「あんたは金城武に似てる」と言われてから私の自尊心は3年間は保たれた。他に言ってくれる人が全くいなかったこと、叔母は私が幼少のころからずっと私に優しいことは併記しておく

 

今一度私は初心に帰る。若い人にえばることなく、ギラギラ対抗心を燃やしたりせず、ただ老いを受け入れながら健康には少しだけ気を遣う、そういうものにわたしはなりたい。おじさんは「もうおじさんだから…」なんて自虐しなくったって大丈夫だ。だって自虐しなくてもおじさんだから。もうみたまま、だれがどう見ても私はおじさんだ。あとは拗らせないだけでいいだろう

 

ライムスター Mummy-Dが語る ラッパーにまつわる誤解トップ5

 

コットンのさ、非常にコットンな感じと、顔の素材感が合わなくなってくるの(笑)。

 

Dさんのこれ、すごい分かるようになった。Dさんはむちゃくちゃかっこいいけどな!