ナイキ履いた俺は生意気かつおじさん~I still love A.I.R.

マイクロフォンから調子はローです。

 

中学~高校生の時分にちょうどスニーカーブームだった。

エアマックス95が街中で狩られるというセンセーショナルかつサベージなニュースをしり目に、友人はバイト代を6万円はたいてイエローグラデの偽物を掴まされていた。偽物だと知った瞬間の、崩れ落ちた膝がアスファルトとぶつかったゴッという音が忘れられない。皿が割れなくてよかったと今は思う。めちゃくちゃ笑ったけど。

 

ナイキが一番好きだった。が、田舎に住んでいた俺には情報も店舗も遠く、小遣いやお年玉を貯めて街に繰り出したところでそうそうAJやエアマックスにありつけることはなかった。だから不本意ながらマイナーなモデルからキャリアをスタートした。バスケをしていたので、バッシュを買った。エアアンリミテッドという、クロスストラップで、ハラチシステムのように足首を覆ったモデル。提督デビッドロビンソンのシグニチャーだった気がする。これが俺のAJだ。そう思いながらプレーした。ど下手だったけど。

 

ストリート履きにエアズームフライト95の赤を買えたときはものすごく興奮した。原宿のショップで死ぬほど不愛想な店員から法外なまでに吊り上げられた、今でいうプレ値での購入だったが、あの時の興奮は忘れない。

 

大学生以降はバイト代や給料で自由に使える自分の金もできるようになり、スニーカーを買い漁った。そんでそれは今も続いている。いい年のおっさんがSNKRSとピコピコ格闘しているのだ。笑いたきゃ笑え。いや傷つくからあんまり笑わないで。何も若い子たちに張り合っているわけではないのだ。若作りしたいわけでもない。大好物兼青春のトラウマのヒーリングといったところの類なんです。だからブームが去っても俺はナイキを履き続ける。今がブームなのかどうかも知らないけど。

 

先日は友人と、直接面識はないそのまた友人のご厚意に預かり、念願のエンプロイストアに入店できた。存在を知り10余年、伝え聞く話ばかりだったかの地をようやく踏みしめることができて感慨ひとしおだった。ESでは子供のスニーカーに飽き足らず帽子、アウター、インナーから靴下まで買い揃えた。はっきり言ってイタい父親だ。しかし子供も自我が芽生える年ごろのようで最近は「アディダスが着たい」と言い始めた。どうやら学校で周りの子が着ており、影響を受けたようだ。この前の休日に子供と風呂から上がると、着替え用の肌着と共にヴィヴィッドな色のアディダスのボクサーパンツが置いてあった。嫁さんが知らぬ間に買い与えたらしい。ちょうどスコセッシの「沈黙」を観たばかりだったため、我が子に隠れキリシタンのような思いをさせた気になってしまい、ナイキ縛りはやめることにした。さすがに三本線を踏み絵にすることはしなかった。

 

若い頃は情報も少なく、町も遠く、金もなかった。今は情報は豊富で、相変わらずの田舎住みであるが移動手段も手に入れ、買える金も豊富ではないがある。おまけに時の玉手箱を開いて私はおじさんになった。

 

でも結局買えないっていう。THE TENなんてどれもかすりもしなかったぜ。稀に履いている人を見かけると心が涎をたらす。ヒーリングどころか新たなトラウマ植え付けられてる説。

  

昔からナイキはつれない。それが俺の中で大前提だ。だからたとえSNKRSで購入ボタンが現れずそのまま完売しようとも、SNKRSで狙ってたキックスが外れた直後の9時6分にナイキからドSに新製品の案内メールが届こうとも、MA5の抽選に数年間外れ続けようとも、絶対に手に入れたかったacgのアウターが5分で売り切れ、その後のリストックを見落としても、俺は動揺しない。公式にリプライも飛ばさず、苦情の電話も入れず、淡々と敗北を受け入れる。昔、彼女にフラれた時も甘んじて受け入れたように。いやそれは嘘かもしれない。電話もメールもしたかもれない。しかしそれで彼女が戻ってきたことが一度もなかったことだけは確かだ。だからそんな時はこんな言葉で自分を奮い立たせるしかないのだ。

 

「次だ、次!」