PTA

10代後半の頃、Nという女友達がいた。背も顔も小さくて、お洒落で、唇の端にほくろがあった。

 

私は少し好きだった時期もあったが、私がNの好みでないことは自明だったので、遊ぶ時はよく他の友達を見繕って連れて行った。するとすぐ打ち解け、そのまま付き合うケースが多かった。都合3人。当時から私は見た目も中身もイケてなかったのだ。Nはそんな私とは対照的に、年上にも年下にも隔てなく慕われるような子だった

 

のちに美大に進学した彼女は、音楽や映画にとても詳しかった。誕生日にくれたPORTISHEADの「DUMMY」はおどろおどろしくてちょっと怖かったけど、自分には全く未知で、こんな音楽があるのかと新鮮だった。TSUTAYAから電話すればビリーワイルダーキューブリックからガイリッチーまで、こっちの好みや気分に合わせて面白い映画を次々に教えてくれた。観た後に感想を伝えると、裏話や監督、俳優のエピソードを返してくれた

 

師匠の知識量には足元にも及ばなかったけど、だんだんと映画に詳しくなってきたつもりでいた私は次第に助言無しで観たいものを選ぶようになり、渋谷のミニシアターや映画のパンレット屋さん、大森のチラシ屋さんなどを巡るようになった。今思えば大作を「金をかけただけ」だと馬鹿にするようなイタい奴になっていた

 

そんな中で、自分の足で見つけたのがポールトーマスアンダーソンだった。ブギーナイツをビデオで初めて観たときは衝撃で震えた。世の中にこんな面白い映画を撮る天才がいるのかと思った。次のマグノリアを映画館で観たときは「これは俺のためにつくられた映画だ」とすら思った。もちろんそんなことはないのは明白だけど、そんな気にさせてくれた。遡って鑑賞したハードエイトも新人監督が撮ったとは思えない代物だった。

 

私はすっかりPTAに夢中になった。ところがNはあまり好きじゃない様子だった。なんで?と聞くと「落としすぎだ」と一言答えた。その時たまたま機嫌が悪かっただけなのかもしれないけど、語りたいスイッチが入っていた私はとても不満だった。それからなんとなく師匠への反発が強まり、遂には映画の話題は口にしないようになっていった。10数年後にふっと思ったことだけど、PTA監督の映画の下地にある父性とか疑似父性、疑似家族といったものに私は惹かれていたんだと思う。そしてNはそここそが苦手だったのではないかという気がする

 

お互いに進学した後もよく遊んだ。大体はNの彼氏と3人で会ったり(そもそもは私の友人たちだった)、稀に私の付き合っていた季恵ちゃんを呼んでファミレスで他愛のない話をした。

 

季恵ちゃんは東北から上京してきた、肌が白くて背の高い、私には勿体ないくらい綺麗な子だった。初めての交際相手ではなかったけど、初めて価値観が近い人と出会えた気がした。紆余曲折あったのちフラれ、よりを戻し、今度は私がフって結局2年も続かなかった。季恵ちゃんはとても魅力的だったが、私はとても幼かった。それ故私は季恵ちゃんをずっと引きずった。それからも付き合った子は何人かいたが、私は何年も未練がましく季恵ちゃんを思っていた。いつだったかNにそのことを打ち明けると、「大事なものは大事にしないといけないんだよ。いい加減わかったほうが良い」とピシャリと言われた。Nがそれを実行できてんのかと反発が湧かないわけでもなかったが、そんな当然の事にも言われないと気が付かない馬鹿なんだとようやく自覚した。

 

自覚したはずだったが、今度はNと些細な事で喧嘩をした。完全に私が悪かった。なんてことはない、私は自覚を軽く更新するような馬鹿だったのだ。自分の馬鹿さに飽きれるばかりだけど、Nが今どこで何をしているかもわからないし、20年越しに謝られても困るだろうから、大事なものを大事にしていこうと誓って過ごしている。大事にすれば安泰、というわけでもないことも年を重ねてわかってきた。けど大事にしてもどう転ぶかわからないものを大事にする他ないのだ、結局は

 

今でも面白いと感じる映画に出会うとNなら何て感想を言うだろうかとか、この監督のことは好きかなーなどとふと考えることがある。私はイケてないまま小汚いおっさんになってしまった

 

リコリスピザ、面白かったです

その質問にはお答えできません

Siriの評判が一向にあがらないなか、HomePodを買いました。

 

音質がどうとかはたくさん書かれているのでひとつだけ。

 

すごい重い。受け取った時あまりの重さにびっくりした。鈍器になりえるポテンシャルを秘めている

 

iPhoneに始まり、ウォッチにAirPodsMacBookといつの間にかApple製品に囲まれている。クリエイターでもなければエンジニアでもない一介のサラリーマンなんだけど、魅力的に見えるから仕方がない。スタバでドヤリたくても生憎コーヒー飲めないし、おのれの手元のおぼつかなさから惨事を招きそうな気がしてならない。そしておいそれと同じものを購入できる持ち合わせはない

 

映画「WAVES」を観てきた。映画館で映画観るのはジョーカーとかジョンウィック以来。とても良かった。ポップミュージックに心情を語らせる映画の過渡期に来ているような気もする

 

パターナリズムやマチズモに悩まされている人、悩まされてきた人にはお勧め

 

生活をしていて幸せを感じる時はあるがそれはかなり刹那的なもので、逆に不快な出来事というものは理解にも消化にも処理にも時間がかかるし尾を引く。逆ならいいのにと子供のようなことを思う。打ちあがり続ける花火もなければ終わらない夏休みもない。せめて僅かばかりでも成長や変化を重ねて、柔らかい心でいられればと願う

 

“アイスクリーム とろけるよな 暑い暑い夏に

 アイスクリーム 届けるつもり”

 

Tくんに捧ぐ

地元の友達が亡くなったと聞いた。

 

友だちといっても10年以上会っていなかったし、近況はFBで知るくらいだった。そのFBすらズボラな私はこのところログインしていなかった。もっともっと親しくしていた人もたくさんいるだろうし、その人たちと同じくらい悲しい気持ちだとはおこがましくてとても言えない。なのでTくんとの個人的な思い出を書き連ねてみようと思う。

 

Tくんと直接知り合ったのは中学校からだったが、何年か前に実家に帰った折、探し物をしていた時に褪せた写真を見つけた。幼稚園のおそらく運動会の開会式か閉会式で、おとなしそうな二人が朝礼台で並んで、一本のマイクに宣誓の言葉を述べているらしきものだった。おどおどしているものの老け顔のためあまりそうは見えない私と、その横でおどおどしているのが隠せない幼稚園児らしい、目がクリっとした可愛い顔のTくんだった。とても緊張して、Tくんは手で半ズボンのすそをギュッと握っていた。記憶はないし推測だけれど、ともに内気だった2人を先生たちがピックアップして大舞台を踏ませたのではないかなと思う。とはいえクラスも一度も同じになったことはなかったし、お互い名前はおろか存在すらも知らなかったと思う

 

小学生になり、私はわりと強豪の少年野球チームに入った。それなりに懸命に打ち込んだのだが、チーム創立以来初の無冠に終わりそうな不名誉な学年だった。監督やコーチもピリピリしていたし、遂にはキャプテン・副キャプテンを大会ごとにすげ替える、政権末期の内閣改造を思わせるような迷走をはじめた。そんな中で私は薄々自分に野球センスがないことに気がついていた。かろうじてレギュラーではあったものの下位打線だったし、試合終盤で代打や代走を送られることも珍しくなかった。いわゆる「ライパチ」と言われるライト・8番という当時の野球少年における最大の屈辱の打順とポジションも経験した。悔しい思いもしたがどこかでまあこんなものかと思う自分もいて、その「まあこんなものか」という逃げの姿勢がゆえ一向に野球が上達しなかった気がする

 

ぼちぼち引退が近づき、最後の大会かそのひとつ前の大会か忘れてしまったが、交代制のキャプテンがいよいよ私のところに来てしまった。授業参観日に日直とか、バラエティで言えばパンッパンに膨らんだ今にも破裂しそうな風船が回ってきたような心境だった。あまり大きくない地区大会で、トーナメントを4回くらい勝てば優勝だった。さすがにこれは行けるんじゃねえか、いやこいつらだからな…というようなことを思うだけではなくハッキリ口にする監督やコーチが味方なのか敵なのか判らなかったが、なんとか順当に勝ちを重ねて決勝まで駒を進めた

 

決勝の相手は同じ地区内の古豪のチームだった。強いしヤジも代々酷くて当たりたくねえなあと思っていた。おまけに決勝戦の会場も彼らの本拠地の小学校だった。試合は競ったまま進み、終盤で私に打順がまわってきた。相手のピッチャーはあまり球速はないがコントロールが抜群に良く、前の2打席は凡打に抑えられていた。大変ベタで恐縮だが、ドクンドクンと自分の鼓動が聞こえ、顔が紅潮するのがわかった。投げられたボールを思い切り振りぬくと一瞬だけバットが重くなり、走りながら目で追うとセンターを少し越えるのが見えた。自分の決勝打で優勝が決まり、キャプテンとしてトロフィーを受け取った。まったく出来過ぎた結末だった。これも後から知ったことだけど、この時の相手チームのピッチャーがTくんだった。そして体だけは大きかった私をTくんがゴジラとあだ名していたらしい

 

後日、決勝打を打った時の私のスイング中の写真を見たコーチが私を呼びつけた。褒められるものとばかり思ってニコニコ出向いて行ったのだが、開口一番「おい。見ろ、酷いアッパースイングだ」とカマされ、そのまま10分ほど説教が続いた。私は野球を続けるのを止めようと決意した

 

中学に入り、その頃はまだ幼稚園でも少年野球でも邂逅があったとは互いに気がついていなかったが、私は野球部のTくんと同じクラスになり間もなく仲が良くなった。Tくんは剽軽で人気者だった。珍しく野球部の練習がなかったある日、Tくんに遊ぼうと誘われて自転車で彼の住む家の方まで出かけた。待ち合わせ場所に近づいてT君が視界に入ると、彼の着ているTシャツが得体の知れない雰囲気を放っていることに気がついた。そばまで寄って確かめると白いTシャツには無数の絵や文字や数字が、明らかに手書きのサインペンで描かれていた。耳なし芳一を思わせる禍々しさに私は圧倒され「Tくんそれ…」と口を開くのがやっとだったが、Tくんは「うん、自分で書いた!」と答えながらゲラゲラ笑っていた。なんてアナーキーな人なんだと思った。自転車で並走するのが少しだけ恥ずかしかった

 

Tくんの家に着いて彼の部屋で喋っていると、突然「ちょっと待っててね」と中座した。ウンコでもしに行ったのかなと思ったが、ほどなく戻ってきたTくんの両方の手にそれぞれブラジャーが握られていた。「どっちがいい?」「え、なに?」「どっちがいい?これ、姉ちゃんの」と言い放った。Tくんにはとても美人なお姉さんがいて、校内でもちょっとした有名人だった。それを知っていた私はドキドキしたものの、「ありがとう、いただくね!」というほどまだ完成されていなかったので、「だ、だいじょうぶ。いらない」と返すのが精いっぱいだった。Tくんはそっか、というとブラジャーをその辺にポイと投げた

 少しして隣の部屋に人の気配がして、すぐにTくんの部屋のドアがバタン!と開かれ、お姉さんが鬼の形相でTくんの頭をひっぱたいて、落ちているブラジャーを拾い上げていった。一連の出来事に面食らいながらTくんに尋ねると、ふるまいブラをするのは初めてではなかったらしく、見知らぬ靴が玄関にあった時点でかなり警戒されていたのだろう

 

それからは部活も違ったのでつかず離れず過ごしていたが、彼の周りにはいつも人だかりがあったし、その突拍子のなさは常に誰かを魅了していたように思う。

 

中学卒業後からしばらくは会うこともなかったが、20代の頃にはまた別の友人を通して再会し、何度か酒を飲んだりコンパみたいな飲み会に呼んでくれたりした。その頃のTくんは正真正銘チャラチャラしていたが女の子に優しかったし、間違いなくモテていた。手書きのTシャツはさすがにもう着ていなかったけれどお洒落だったし、パーマもタトゥーもストリートブランドもよく似合っていた。とはいえ手書きのTシャツが一番ストリートを体現していた気もするけれど

 

 

 

遠く離れた場所で彼がお店を開いていて、繁盛していることは人づてに聞いて知っていた。いつか旅行にいって突然訪問して驚かせたいな、その時はやめているお酒を少しだけ飲んでしまおうかなどとぼんやり考えていた。彼が病魔に襲われていたこと、奥様と協力して懸命に戦っていたことを知ったのは、すでに亡くなってしまった後だった。

 

 

いとも簡単に野球から逃げ出した私と違って彼は中学でも野球を頑張っていたし、突拍子のなさだけではなく、粘り強さも持っていたのだろうと思う。決勝で戦ったあの日も、Tくんは一人で最初から最後まで投げぬいて完投していた。長い間しんどかったのによく頑張ったね、お疲れ様でしたと声をかけたい。

 

見るからに内気な園児がエースピッチャーになったり、掴んでいた半ズボンのすそがお姉さんのブラジャーになったり、手書きのTシャツがストリートブランドになったりした、その変遷の過程を私がそばでうかがい知ることはできなかった。だが彼のお店や彼自身が、誰からも愛される存在であることは容易に想像がつく。

 

月並みな文言になってしまうが、Tくんを愛する人たちのTくんを思う気持ちは決して消えることがないだろうし、それはTくんが消えないことを意味すると思う。

 

 

Tくん、どうもありがとう。話した時はいつも楽しかった。

 

 

みんな調子どう

先週の土曜日のbaticaの生配信はめちゃくちゃ楽しかった。PCの音量を上げ過ぎて寝ようとしていた奥さんに怒られてしまった。GAPPERの手きれいだなーとか、GAPPER肌きれいだなーとか、GAPPERずっと調子聞いてくるなーって感じで最高だった

 

家庭もあるし頻繁には行けないけれど、baticaはスタッフのお兄さんやお姉さんがとても感じが良くて好きだ。ビールを2杯買ってその場で1杯飲みほしたら拍手してくれたこともあった。ぜひまた行きたい。けど飲んでしまいそうで怖い!でも応援したい。ということでTシャツを買った。ガンガン着ようと思います

 

そういえば無事にデシューツは欲しかった色を買えました。中学生のころ履いてたものをおっさんになっても懲りずに買う成長のなさ…70歳になってもナイキの復刻追いかけてそうで怖い

 

とか考えてたら届いた、スチャダラパープレゼンツの雑誌「余談」の新作を読んだ。

読んだら、まあそんな爺さんになっても良いかなーと思った。そこら中そんな爺さんだらけになりそうだしね。はたして無事爺さんになれるのか問題もあるけど

ヒマの過ごし方

お酒を止めてからというものの、酒席でのみ会っていた知人とは当然遭遇することがなくなったし、以前通っていたお店のHPやSNS等も訪れなくなった。美味しそうな料理やお酒の写真が目に入ればまた通いだしたくなってしまうだろうし、体調が優れなくなるほど飲んだあげくすっからぴんになるのはごめんだ

 

それでもこのコロナ禍の中、どうしても様子が気になり覗いてみたのだが、どの店も営業時間を短縮したりテイクアウト業務の割合を増やしてサバイブしているようだった。どの業界も大変に厳しい状況がこれからも続くと思われるが、なんとかより多くの会社やお店が凌ぎきれることを切に願っている。コロナ、はよいねや、もういんでくれや(神戸薔薇尻風に)

 

断酒は440日。一年を過ぎて数字の目標がなくなってきた感はある

 

 

 

出かけることはおろか、大好きな祖父母にも会えない子供たちは気がつけばテレビやゲームをしがちなので、最近は読書時間を設けて家族全員で本を読む時間を作ったりしている

 

私はといえば人生で初めてプレイしたゼルダの伝説のブレスオブザワイルドにドはまりし、GW中もせっせと打ち込んでいた。エンドロールに出てきた制作に関わった方たち全員に握手してお礼を言いたくなるような素晴らしいゲームだと思う。子供との会話の6割くらいがゼルダの話になっている

 

それでもまだ時間はあるのでNetflixを再契約し、毎週楽しみにしているのがLast Dance。世代的にはドンピシャです。

 

ジョーダンやピッペン、ロッドマンはもちろん、ホーレスグラント、BJアームストロング、スティーブカー、クーコッチ、ビルウェニントン…スターターや控えの面々の名前も表記が出る前に言えたりして、結構覚えてるもんだなあと思った。ルークロングリーは思い出せなくて調べた

 

それにしても毎回面食らうのがジョーダンが闘志剥きだしで敵だけじゃなく味方にも挑発やプレッシャーをかけ続けるところだ。試合中にエキサイトしている姿は勿論見覚えがあったが、練習やアップ、控室での密着シーンを見るとここまで凄かったのかと感心する。そしてものすごく怖い。敵味方問わずに口汚く罵った過去のシーンからカットバックして現在のジョーダンが口を開いて、またダーティーワードを喋ったりするともうおかしくて笑ってしまう。負けず嫌いは引退しても変わらない

 

ジョーダン、ブルズフリークには既知のエピソードも多いかも知れないが、ジョーダンの一貫して勝ちにこだわる姿勢やフロントとの軋轢はとても生々しく、ヒリヒリしたものだ。またチームメイトやライバル、追いかけていた記者たちの視点も交わって、ジョーダンやブルズの置かれていた環境や状態が立体的に感じられる、とても見ごたえのあるシリーズだ。スポンサード記事みたいだけど一銭ももらってない

 

今一番早く観たいのはザ・ボーイズのシーズン2!早く観たいよホームランダー

 

それとロイヤルトゥーが欲しい。あとエアデシューツは絶対欲しい

 

 

床屋の回が良い

小袋成彬さんの「Piercing」をずっと聴いている

 

他にもちょこちょこ気になった音源があるとそっちを聴くけど、気がつくとまたこのアルバムを聴いている。

 

初めはあまりしっくり来なくて、分離派の夏の方が好きだったなーなどと思っていたんだけど、聴きこむうちに好きとか嫌いとかの次元を超えてきた。いや間違いなく好きなんだけど

 

ストリーミングで音楽を楽しむようになってからアルバムを通しで聴く機会が減ったが、これは必ず1曲目のNight Outから最後のGaiaまで聴いている。ほんとにどの曲も好きで、かえってその中から切り取っておすすめしようと思えないほどだ。アルバムの良さを書き連ねたいし、それこそとても好きな瞬間が連なっている(自分にとっては)ドラマティックな作品なんだけど、他人の感想とか推薦が聴く人の妨げになってしまいそうな気すらしてしまう。

 

Tohjiや5lackという当代きっての天才ラッパーの参加曲もあるし、Kenn Igbiの軽やかなメロディや、また唐突にはじまる合唱曲やskit的に挟まる友人?との会話(これがとても心地よい)もあり、多様性に富んでいながらそのどれもが浮いていない。全体を通して30分ちょいという短さから通勤の片道で駆け抜けられるのもとても良い。

 

聴きこんでいると私自身の思い出やその時の心情とか、見ていた(ものとは異なるかもしれないが)風景などがふっと眼前に現れるような感覚になる。恐れていた通り文章にすると大変に安っぽい感想になってしまうが、そんな豊かな作品だと感じる

 

 

 

面識のない著名人でも明るい人柄の方や、世の中を少しでも明るくしようとする作品を残していた方が逝ってしまうと結構堪えてしまう。そして同時代にその方の明るさや作品に触れていたことが実は贅沢なことだったと知らされる

 

決して身近な存在でなかった人ですらこうなのだ。

 

「日常が奪われてから」「元通りの生活を」なんて言葉をよく目にするが、私たちは与えられたその次の瞬間から時間を奪われ始めて、ようやく手にした自由やお金や大切な存在もやがて必ずなくしてしまう。なくすことは決まっている。喪失は常につきまとうけれど、それゆえに輝かされている瞬間もあるはずだ。もし喪失がなかったら気遣いや思いやることは消え失せて自意識だけが肥大してしまいかねない。現実は気遣いや思いやることを忘れて喪失に至ることが多いのだけれど

 

怖がってばかりもいられない日々の中でこの作品に救われているなあと感じています。

 

あとようやく観れたAtlantaのシーズン2もすごく楽しい